Girinのブログ

日常をつづる

センスの話

ある動画を見ていたら早熟型だとかセンスだとかの話が合ったので気になってまとめてみた。

  • センスとは
    英語の意味は"物事の微妙な感じをさとる心の動き。微妙な感覚。"とのこと。つまり感覚的な部分が大きいことになる。これは僕の解釈とも一致する。そうなったときに果たしてセンスは後天的に身に着けることができるのかということである。僕の答えはNOだ。これは身につかないと言っているのではなくそうして身についたものは"センス"ではなく"経験"だと思う。
  • センスと早熟、晩成
    果たしてセンスのある人と早熟になにか関係があるのかと思うかもしれないが僕はあると思う。全体を眺めた時にセンスがある人は早熟であることが多いと思う。これはその物事に対して何をして何をすればよいかが感覚的にわかるからだ。だが早熟とは早く成長してそのあと成長が止まる人のことを指すことが多い。なぜセンスがあるのに成長が止まるのか。それはセンスが"感覚"の話だからである。後天的に身についた"経験"、いわゆる晩成型の人はその経験から何かを見出すために変更がききやすい。しかし、生まれ持った感覚を変えるというのは簡単なことではないだろう。だから僕は時々こう思う「センスがある人の限界値は低い、センスがない人の限界値は高い」。もちろん、有り余るセンスがある天才と呼ばれるような人は別だろう。ただ、そういった人たちも初期値、限界値が高いだけで成長はしないように感じる。
  • 成長するために
    センスがある人が成長するために必要なことは自分がセンスがあると認識することから始まる。これは、自惚れているのではなく自己評価をしているのだ。そうしなければ成長しない。次に、行った行動に対して後付けでいいから理論を付け足す。そうすることで無理にでも経験として蓄積させるのだ。では、センスがない人はどう成長すればよいのか。こちらもまず自分がセンスがないことを認識することから始まる。次にとにかく数をこなすべきだろう。だがこの時必要なことはしっかりと考え同じことを繰り返さないことである。同じことをして得られる経験は同じものだ。そこに意味はない。
  • 自己評価(余談)
    センスがあるなしを認識するといった話について、いささか人は自分で自分の評価をすることをためらっている印象がある。自惚れるのではなくただ評価をして自分の価値を認識すべきだと思う。こうしたときに僕は他人からの評価を好む。客観的だからだ。主観になるとどうしても周囲との相対評価になり違うかもしれない。ただし、センスに関しては主観でなければならないと思う。感覚だから。

こういった話を考えるのは結構好き。